
土肥実平イラスト:能楽師狂言方 大蔵流 大蔵弥太郎 師

萬年山 城願寺
本寺は、八百六十年余前、当地相模国土肥郷の豪族土肥次郎実平が、屋敷の裏山に小さな持仏堂を建てたことに始ま
ります。
源平の合戦を勝ち抜いた実平は、敵味方の区別なく死傷した人達の冥福を祈るとともに、萬年の世までも家運が栄えるように『萬年山城願寺』と号する建物を整えました。
※当初は「成願寺」といった資料もあります
実平や頼朝の死後に、執権北条氏によって備後国三原沼田荘に土肥氏は追われて本寺も衰退しておりましたが、南北朝時代に土肥氏の末裔の土肥兵衛入道が、清拙正澄(大鑑禅師)の弟子の雲林清深を招請。密教系寺院だったものを臨済宗に改め再興して鎌倉五山十刹につぐ寺格である諸山に指定されるほどでした。(これにより清拙正澄を勧請開山〈名目上の開山〉としています)
戦国時代に小田原の大森氏や北条氏の抗争で、再び本寺は衰退しましたが、大州梵守が早川村海蔵寺や肥田山保善院とあわせて再興させ、曹洞宗の城願寺として現在に至ります。
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1939年9月7日に国天然記念物に指定され、現在では850年ほどになる柏槙。城願寺の前進である持仏堂を建てた土肥実平の手植えと伝わる樹についてご覧ください。
画:広瀬昭一朗
『源頼朝旗揚げを助けた土肥實平の菩提寺「城願寺」ビャクシンと七騎堂』


約八百数十年前、この地(相模土肥郷)の豪族土肥次郎實平が、萬年の世までも家運が栄えるように「萬年山」と号して持仏堂を整えたことから城願寺の歴史は始まります。
1525年に曹洞宗に改宗し、現在に至るまでの歴史をご覧ください。


表参道仁王門や七騎堂(源頼朝が漁船に乗って房州に落ち延びた際同船した土肥實平など主従七騎であったことから建立された)、釣鐘堂(しょうろうどう)・文殊堂(もんじゅどう)、頼朝・實平腰掛石などご覧いただけます。


聖観世音菩薩、開山堂・位牌堂、井上三綱画伯の「天女の舞姿大絵巻」、矢部友衛画伯の「南瓜の絵」、点描のアーチスト加藤芳信氏の10枚の「仏画」など、108枚に及ぶ格天井絵画、土肥実平 遠平像(湯河原町指定文化財)などご覧いただけます。