湯河原城願寺– tag –
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力石郷水句碑
湯河原三俳人の一人、力石郷水は1912年(明治45年)川堀に生まれ本名は元吉といいます。蜜柑園芸を本業とし、俳句は真鶴の医師 宗久月丈に手解きを受け、長谷川かな女の「水明」などに参加しました。地域の俳句の振興に努め、特に1975年(昭和5... -
両皇子殿下御臨幸記念之松碑
両皇子殿下御臨幸記念之松碑 1913年(大正2年)3月2日、避寒勉学にて大正天皇の二人の皇子(昭和天皇となられた迪宮裕仁〈みちのみやひろひと〉親王12歳と、秩父宮となられた淳宮雍仁〈あつのみややすひと〉親王11歳)が城願寺に歴史の勉強に来... -
浩宮徳仁親王御見学記念碑
浩宮徳仁親王御見学記念碑 1980年(昭和55年)9月12日、学習院大学3年生の浩宮徳仁親王が、中世史の安田元久教授の引率で城願寺を見学された際の記念碑です。この年は源頼朝・土肥実平らが平家追討の旗挙げ八百年目の年でした。旧暦の治承4年8... -
西国三十三観音碑
西国三十三観音碑 江戸幕末期は、外国船来訪や、大地震や大津波に、浅間山噴火による飢饉で多くの人が死に、そのような中で尊皇攘夷の争乱がおこり、医学の専門知識が無かった1822年(文政5年)と1852年(安政5年)には、「三日ころり(コレラ)... -
大鑑禅師示寂塔
大鑑禅師示寂塔 京都建仁寺禅居庵の大鑑禅師石塔 城願寺 大鑑禅師示寂塔 飯田開善寺の大鑑禅師像 大鑑禅師と諡号された清拙正澄は、1326年(嘉暦元年)執権北条高時に招かれて宋から来日し、京・鎌倉五山の諸寺住職を歴任した高僧です。土肥実平の子孫... -
城願寺を動画で楽しむ
https://youtu.be/D0zJZFtu8Gs?si=Q6FJQqH8doVEBl2e https://youtu.be/ykEGKqoUncw?si=kVlfT5OgeXUx5TwP https://youtu.be/eWg8j10BNqs?si=7lQ8QaBDr-kYdrlM 境内や景色、土肥一族の墓所、本堂の様子など画像をクリックすると、永山順一氏撮影の360度画像... -
寂靜塔
寂靜塔 【合同供養塔と永代供養】お墓を管理する家族や子孫(後継者)がなくとも任せられるのが「合同供養塔・合祀墓」や「永代供養」というかたちです。城願寺の合同供養塔「寂靜塔」は、木々や季節の草花に囲まれた埋葬施設の中心に建立されています。お墓... -
百草墓苑
百草墓苑 【親子・夫婦・個人墓】お墓を「家」で代々、受け継いでいく慣わしにかわって、将来の継承を前提とせず、ご夫婦で、或いは親子、また個人一代の墓として建立するのが「夫婦・親子・個人墓」です。 城願寺の境内にある「百草墓苑」にはそうした新... -
年間行事と四季の花暦
2025年行事予定 日 時 内 容 1月1日 0時~ 元日祈祷会 2月15日 10時~ 釈尊涅槃会(2月8日から涅槃図御開帳)3月17日春彼岸入り 3月20日 10時~ 護持会総会3月23日春彼岸明け 4月6日 13時30分~ 土肥祭7月13日 10時... -
土肥一族
PrevNext 土肥 実平(どひ さねひら / どい さねひら )は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。桓武平氏良文流中村宗平の次男。小早川氏の祖とされています。相模国の有力豪族中村氏の一族で、足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町および真...
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