

湯河原三俳人の一人、力石郷水は1912年(明治45年)川堀に生まれ本名は元吉といいます。
蜜柑園芸を本業とし、俳句は真鶴の医師 宗久月丈に手解きを受け、長谷川かな女の「水明」などに参加しました。
地域の俳句の振興に努め、特に1975年(昭和50年)から町の広報に俳句欄を設けて選者として活躍しまた。
1981年(昭和56年)3月5日の万葉公園「万葉亭」前庭の黒沢与作の「芋 掘ってきて 満月を 野に残す」句碑建立にも尽力しました。
1991年(平成3年)5月21日、力石郷水の句歴六十年記念とし湯河原町民俳句会ら有志が、兎沢産小松石で句碑を建立しました。
石碑の句は郷水が春の城願寺土肥祭に出席した際作句しました。
頼朝の 陣立石に 飛花落花(ひからっか)
頼朝が治承四年に伊豆で旗上げをし、実平の持仏堂があったこの地から鎌倉へ出立する時に頼朝が座ったと伝わる陣立石に散る桜花を見て、出陣を想い描いて作句しました。
季語は飛花落花、季は春。伝統俳句の定石に即しながらも「飛花」に勇壮な旗上げ出陣を「落花」に石橋山での敗北が暗示されて味わい深い句です。土肥一族菩提寺に相応しい句碑といえます。